• 劉家大院(大院は多くの住民が暮らす密集地域のこと) 劉家大院(大院は多くの住民が暮らす密集地域のこと)

    劉家大院は西から東へと四つの建物が並んでおり、総面積が4,532平米であり、福州市地域内で一番広い住宅である。元々は清の時代の初めの有名な画家である許友の旧居「米友堂」と清の時代の康熙年間の進士(科挙の殿試に合格した者に与えられた資格)、内閣中書である林佶の旧居「朴学斋」であった。嘉慶年間(1796年~1820年)に劉照に購入された。民国25年(1937年)に愛国詩人である郁達夫はここに泊まったことがあり。

  • 葉氏民家 葉氏民家

    最初は明の時代に建てられた。北を背にして南を向き、メイン建物と客間からなり、建築面積が2,321平米である。メイン建物は前後の奥行きが三進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、正門が東を向き、南後街に隣接している。建築は明、清、民国という三つの時代の建築風格を集めている。2005年に福建省第六回文物保護単位と指定された。

  • 郭柏蔭旧居 郭柏蔭旧居

    最初は明の時代の末に建てられ、元々は役所であったが、清の時代の同治年間(1856年~1874年)に郭柏蔭に購入され、修繕された。メイン建物は奥行きが三進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、東壁の外に客間と庭園があり、建築面積が2,130平米である。2005年に福建省第六回文物保護単位と指定された。

  • 鄢家花庁(花庁は客間のこと) 鄢家花庁(花庁は客間のこと)

    清の時代の乾隆年間(1736年~1796年)に建てられ、元々は鄢氏太澄公の霊廟であった。その後華僑商人鄒克名の住居になった。二つの建築はつながっており、南を背にして北を向き、建築面積が2,009平米である。西院の花庁は計二進があり、その内の一進にある彫刻は精緻で美しく、精粋の所在である。

  • 劉冠雄旧居 劉冠雄旧居

    ここは劉冠雄の旧居であり、最初は清の時代の乾隆年間(1736年~1796年)に建てられ、二つの建物はつながっており、建築面積が1,308平米である。メイン建物は奥行きが二進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)であるの庭で、小さな扉で東側の客間とつながっている。2005年に福建省第六回文物保護単位と指定された。

  • 王麒旧居 王麒旧居

    民国の初めに新たに編制された陸軍第一混成旅団長王麒の旧居である。最初は清の初めに建てられた。二つの建物はつながっており、敷地面積が2,225平米である。建築は彫刻が巧みで、図案が美しく、典型的な古代建築の代表である。この建築内の庭園は美しく、造園者は独自の芸術性をいかし、象形の築山と石灰などで数多くの生きているような弥勒、観音菩薩などのイメージをつくって、独特な宗教文化の雰囲気を加えることで。

  • 尤氏民家 尤氏民家

    最初は明の時代に建てられ、清の時代の光緒年間(1875年~1908年)及び民国(1912年~1949年)の初めに数回にわたって修繕され、建築面積が2,633平米である。四川総督蘇廷玉はここに住んだことがある。清の末民国の時は尤賢模の住宅であった。

  • 新四軍事務所旧居 新四軍事務所旧居

    清の時代の建築で、奥行きが一進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)だけであり、建築面積が461平米である。元々は林聡彝旧居の後ろの庭であった。1938年2月、新四軍駐福州事務所はここで成立され、新四軍参議兼閩東特別委員会委員王助は主任に就任した。同年の5月、事務所は南平に移された。

  • 謝家廟 謝家廟

    最初は明の時代に建てられ、北を背にして南を向き、前後の奥行きが四進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、建築面積が946平米である。清の時代の末に、林覚民などはここで新聞を閲覧するための場所をつくったことがある。「五四運動」期間中に、福建学生連合会はここで設立された。その後、黄展雲は「営前模範村」を創設して、ここを市内の事務所とした。

  • 陳衍旧居 陳衍旧居

    最初は清の時代に建てられ、木造の建築であり、北を背にして南を向き、周囲に風火壁(防火に役立つ高くて厚い壁のこと)がある。中は四つのエリアに分けられ、敷地面積が625平米である。1991年に福州市人民政府に看板付きの保護単位と指定された。