• 水榭(水辺のあずまや)舞台 水榭(水辺のあずまや)舞台

    明の時代の万歴年間(1573年~1620年)に建てられ、元々は「鄭」という苗字の人の住宅であったが、清の時代の道光年間(1821年~1850年)に、孫翼謀家族のものになった。三つの建築はつながっており、メイン建物は前後の奥行きが三進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、総面積が2,377平米である。客間の中に池の上で建てられた舞台があり、面積が30平米である。

  • 林覚民、冰心旧居 林覚民、冰心旧居

    清の時代の建築で、西を背にして東を向き、敷地面積が694平米である。メイン建築は元々の奥行きが三進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)であったが、今は二進しか残されていない。元々は林覚民の先祖の家であったが、林覚民が殉難した後、家屋は冰心の祖父である謝鑾恩に譲渡された。2006年に第六回全国重点文物保護単位と指定された。

  • 厳復旧居 厳復旧居

    メイン建物は清の時代の様式の建築で、客間は民国時代の様式の二階建ての家屋であり、二つの建物は隣接しており、敷地面積が609平米である。1920年、福建省督軍に就任している李厚基は厳復に買ってあげた。2006年に第六回全国重点文物保護単位と指定された。

  • 二梅書斎 二梅書斎

    ここは清の時代の林星章の旧居であり、中国科学院士林恵民はここに住んだことがある。建築は最初に明の末に建てられ、南を背にして北を向き、前後、東西の奥行きが五進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、郎官巷と塔巷を貫いており、敷地面積が2,434平米である。庭の中に二本の梅の花を植えているため、書斎は「二梅書斎」と名づけられ、福州市の典型的な明・清の時代の民家の代表作である。

  • 小黄楼 小黄楼

    唐の時代の崇文閣校書郎である黄璞はここに住んだことがあり、現存の建物は清の道光年間(1821年~1850年)に梁章鉅に修繕されたもので、敷地面積が3,300平米である。建築はレイアウトがコンパクトで、庭園にあずまやと楼閣、小橋と流れる川水があり、福州市では現在に保存されている最も美しくて、また形が小さくて精巧で緻密な客間付の古典庭園である。2006年に第六回全国重点文物保護単位と指定された。

  • 林聡彝旧居 林聡彝旧居

    最初は明の時代に建てられた。清の順治二年(1645年)に、南明隆武政権はここで大理寺役所を設けた。道光年間(1821年~1850年)に、林聡彝はここを購入して居住し始めた。同建築は左右両側に三つの建物があり、メイン建物は奥行きが四進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、東側に位置する庭園が広い。敷地総面積は3,000平米近くで、明・清の時代の福州市で一番広い豪邸の一つである。

  • 欧陽花庁(花庁は客間のこと) 欧陽花庁(花庁は客間のこと)

    最初は清の時代の康熙年間(1661年~1722年)に建てられ、清の光緒十六年(1890年)に、欧陽瑸、欧陽玫の兄弟二人に購入され、修繕された。西隔院にある客間、障子、透かし彫りなどの木造部材はみんな優れた楠の木で巧みに彫刻され、一部分の花窓(中国建築の窓や扉、間仕切り等に使われている幾何学模様や花模様のアレ)に百種余りのヒメツゲの木で彫刻された動ける花鳥の図案を嵌め込んであり、建築全体の精粋である。

  • 陳承裘旧居 陳承裘旧居

    陳承裘(1827年~1895年)は清の咸豊二年(1852年)に進士(科挙の殿試に合格した者に与えられた資格)に合格して、主事として採用された。七人の子どもがいる。五男が夭折したほか、六人の子どもはみんな科挙の試験に合格した。長男陳宝琛はラストエンペラー溥儀の先生である。

  • 瀋葆楨旧居 瀋葆楨旧居

    最初は明の天啓年間(1621年~1627年)に建てられ、清の同治年間(1856年~1874年)の初めに瀋葆楨に購入され改修された。二つの建物はつながっており、メイン建物は奥行きがあわせて四進(進:伝統的中国家屋で、邸内に複数列の建物がある場合、その一列を'一進 'と言う)で、西側が跨院(2つのユニットに跨ったお部屋)となっており、総面積が約2,747平米であり、福州の明・清時代の典型的な豪邸である。