瓊東河七橋

(1)安泰橋

 「瓊東河七橋」の一つで、安泰川の中部、今の八一七北路朱紫坊の西口に位置する。元の名称は利渉門橋であった。唐の時代の天復元年(901年)に建てられ、宋の時代の宣和七年(1125年)に修繕された。橋は単孔の石造アーチ橋であり、南北行きで、長さが11メーター、幅が6メーター、橋と岸がいずれも丸ごとの石で築かれ、今はコンクリートの橋に覆われている。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。

(2)澳門橋

 「瓊東河七橋」の一つで、もともとの名称が清遠門橋、一般的に呼び習わされる名称が鴨門橋であり、羅城清遠門外に位置する大濠橋である。光禄坊洞口に位置し、澳門路と南後街を結び付けている。橋は南北行きで、単孔の石造アーチ橋であり、長さが10メーター、幅が6メーター、元の橋は今の新たに増築されたコンクリート橋の下に保存されている。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。

(3)板橋

 「瓊東河七橋」の一つで、虹橋とも言われ、一般的に呼び習わされる名称が老佛亭橋である。光禄坊の南側に位置し、羅城大濠を跨っており、南北行きである。最初は五代の時代(907年~960年)に建てられ、元々は木造の橋であった。明の時代の万歴三十年(1602年)に再建され、石梁薄型橋に改造された。長さは5.35メーター、幅は3メーターである。橋のおもては四枚の大きな石板に敷かれ、両側にパレルがある。柱の上に宝珠があり、橋は南に位置する老佛殿との連結で独特な景観になる。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。

(4)二橋亭橋

 「瓊東河七橋」の一つで、金闘橋の南、倉前後巷の西側に位置する。明の時代の「閩都記」は「倉前橋は常豊倉に近く、南と北に二本の橋があり、上にあずまやがある」というように記載していることから、二橋亭橋と言われている。これは古羅城大濠を跨る橋でもある。北東・南西行きで、木造のものである。橋の上に風雨亭があり、穿闘式(柱や梁に束や貫を組み合わせた構法)の木造枠組みで、三つの間口があり、瓦屋根で、8本の柱を使っている。これは福州市内では唯一の昔の木造の雨よけの橋である。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。

(5)観音橋

 「瓊東河七橋」の一つで、古城の西にある安泰川と文藻川が合流するところに位置する。明の時代の成化十三年(1477年)に建てられ、鼓楼区に現存している最も古い石造アーチ橋である。橋の傍らに観音大士があることからこのように名づけられている。橋は長さが8.5メーター、幅が5.1メーター、スパンが5メーターである。橋の表は15枚の石板でできあがり、西側に3対のパネルがあり、橋の上に4対の仰蓮望柱がある。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。

(6)館

「瓊東河七橋」の一つで、旧名が車弩橋、橋が三山に近いことからこのように名づけられ、一般的に呼び習わされる名称が前橋である。衣錦坊西口に位置し、唐の時代の末の羅城大濠を跨っている。元々は木造の橋であったが、明の時代の成化十四年(1478年)に石造橋に改造され、清の時代の道光十八年(1838年)に再建され、単穴の石造アーチ橋に改造された。橋は長さが7メーター、幅が5.05メーター、東西行きである。橋の表は6枚の石板でできあがり、4対の仰蓮望柱がある。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。

(7)金闘橋

 「瓊東河七橋」の一つで、文儒坊西口に位置する。元々は羅城金闘門橋であり、昔の羅城大濠を跨っている。清の時代の嘉慶二十三年(1818年)に再建された。石造の平梁橋であり、東西行きで、長さが10.2メーター、幅が3.7メーター、橋の表は4枚の石板でできあがり、6本の望柱がある。1992年に福州市の第三回文物保護単位と指定された。